きょうは、終戦の日。
68年前のきょう、日本は戦争に負け、同時に、まったくそれまでとは異なるやり方で、国際社会の中で生きていかなければならなくなりました。
歳月が流れ、国際社会の中で、もはや企業は、国の枠を超えて行動する時代になりました。とっくの昔からそうなっています。
会社の登記はケイマン諸島、経営陣は香港かシンガポール、工場はベトナムにあり、サポートは東欧のコールセンターが対応する ― そんな企業も増えてきました。
現代のグローバル企業は、もはや、国という枠組みにしがみついてはいません。そのような企業において、自治体という単位が、企業経営の中でどこまで意識されているのか、必ずしもよくわかりません。
そんな中にあって、個人は、企業からも、国家からも、ましてや自治体からも何の助けも受けられないのだから、裸のまま世界に放り出されることを覚悟しなければならず、グローバル世界のむきだしの競争の中で生き抜いていくことが求められるという主張があります。
むき出しの国際競争に勝ち抜いていくためには、英語を学べ、留学せよ、海外で働く経験をせよ、専門性を身につけよ、といったアドバイスが、人材育成コンサルタントのみなさんなどから、盛んに行われています。
大事なのことは、「どこに会社や組織に所属しているのか」ではなく、ひとりで何ができるかだ、とも指摘されます。
わからないではありません。
英語を学ぶことも、留学することも、海外で働く経験を持つことも、専門性を身につけることも、大切でしょう。それらは、意味があることです。
しかし、そのことが、人は、何かに帰属せず、どこかに係留されることなく、ただ、ひとりで生きて行くことのみが真理なのだという主張であるなら、そこには、何か、とても寒々とした風景があるような気がします。
グローバル世界で軽やかに生きていけたとしても、そこで生き抜いて行くことができる語学や処世術や専門性を身につけたとしても、はっきりしていることは、人は、ひとりで生きていくことはできないということです。
グローバルな世界で軽やかに生きていける人も、そう望みながら、そうは行かなかった人も、はじめからそんな世界に生きることを望まなかった人も、ひとしく受け入れることができるような地域社会。
甘いと言われるかも知れませんが、 私は、そのような地域社会を理想としたいと思います。