神戸市長として:1期

2013年(平成25年)

11月20日、第16代神戸市長に就任しました。8時45分から、東遊園地「慰霊と復興のモニュメント」へ。9時から、市役所に登庁し、大勢の市職員のみなさんに出迎えていただきました。9時半から、局長会議、10時から、課長級以上のみなさんに挨拶を申し上げました。同時に、職員のみなさんに、ご挨拶のメールをお送りしました。

翌日の11月21日、ポートタワー開業50周年の記念式典が開かれ、市長としての初仕事になりました。神戸ポートタワーが、神戸港の中突堤に建設され、開業したのは、1963年(昭和38年)11月21日のことでした。私は、川池小学校の4年生でしたが、ポートタワーが、その鮮やかな深紅の、鼓形の姿を現し、神戸の風景が変わったのを覚えています。神戸が新しい時代に入っていく予感のようなものを感じたことを、懐かしく想い起こました。

市長になって早急に行わなければならないのが副市長人事で、玉田敏郎氏、鳥居聡氏を選任しました。併せて幹部人事を行い、女性幹部を長田区長に登用するなど大規模な異動を行いました。

2014年(平成26年)

1月17⽇、阪神・淡路⼤震災から19年が経過し、中央区の東遊園地で震災犠牲者に鎮魂の祈りをささげる追悼⾏事が⾏われました。午前5時46分、遺族をはじめ約5,000人の参列者が黙祷をささげた後、遺族の代表とともに追悼の⾔葉を申し述べ、「慰霊と復興のモニュメント」に献花を⾏いました。市長として初めてこの行事に参列し、言い知れぬ感慨を覚えました。

三宮をはじめとする都心の再整備は、震災で遅れていた神戸の街づくりを前に進めるために不可欠のプロジェクトで、市長選挙の公約でもありました。さっそく検討を始動させることとし、1月28⽇、「神⼾の都⼼の『未来の姿』検討委員会」の設置を発表しました。新神⼾から三宮、元町を経てハーバーランドに至るまでの範囲を対象とした「都⼼の将来ビジョン」の策定に向け、地元組織代表や学識経験者などのメンバーが参画する検討組織です。3月19⽇に第1回の会議を開催し、「三宮周辺地区の『再整備基本構想』」の策定も進めることにしました。

3月6日、総理大臣官邸で開催された「経協インフラ会議」に招かれ、都市インフラ輸出に関する神戸の取り組みについてプレゼンしました。議長の菅義偉官房長官のほか、麻生太郎副総理、太田昭宏国土交通大臣など関係閣僚が出席されました。私からは、「水素エネルギーを活用したスマートコミュニティ構想」として、オーストラリアの褐炭由来のCO2フリー水素を利用した事業展開を説明しました。このプロジェクトは、その後川崎重工株式会社などの民間企業との連携が進み、大きく進展していくことになります。

3月28⽇、スーパーコンピューター「京」の後継機が神戸に設置されることが、国から発表されました。大きな朗報でした。ポスト「京」の開発は、「京」に引き続き理化学研究所が担うこととされました。

4月25⽇、「市⺠・職員協働プロジェクトチーム」の第1弾として「地下鉄海岸線・市街地⻄部活性化プロジェクトチーム」を設置しました。私は、選挙時の「政治理念」の中で、「市民のみなさんの知恵をあつめ、他者と社会のために役に立ちたいという想いを共有し、市民のみなさんの知恵や想いを形にしていきます」とお約束しました。このプロジェクトチームで、市民のみなさんと職員が同じテーブルを囲み、生き生きとした議論を戦わせ、政策に反映していければと考えました。2014年度には、このほか「農村活性化プロジェクトチーム」、「空き家ストックを活用した中古住宅市場活性化プロジェクトチーム」の合計3つのプロジェクトチームが設置されました。

9月3⽇、新港第3突堤の「神⼾三宮フェリーターミナル」が完成しました。新ターミナルは、旧ターミナルにはなかったエレベーターも整備するなどバリアフリーにも配慮されています。これまでの⼩⾖島・高松航路に加え、新しく宮崎航路のフェリーが就航しました。新規航路の就航とも相まって、神戸港の拠点性がさらに高まることになりました。

9月12⽇、神戸医療産業都市の先端医療センターにおいて、iPS細胞を用いた世界初の「網膜細胞シート移植」が実施されました。理化学研究所、先端医療振興財団、市⽴医療センター中央市⺠病院による「滲出型加齢⻩斑変性」の治療法確⽴に向けた臨床研究です。この臨床研究では、患者本人の皮膚の細胞からiPS細胞を作り、網膜⾊素上皮細胞に分化させたシートを作成し、傷んだ網膜⾊素上皮細胞と置き換えることで、機能の維持・回復を図ることをめざすとされました。

10月1⽇、神⼾港埠頭株式会社と⼤阪港埠頭株式会社が経営統合され、「阪神国際港湾株式会社」が設⽴されました。国際コンテナ戦略港湾「阪神港」を⼀元的に運営する会社の誕生でした。神⼾港・⼤阪港の両港の強みを生かし、背後圏貨物の拡⼤による新たな航路誘致、多方面・多頻度の航路確保などにより競争⼒強化を図る体制が整いました。

2015年(平成27年)

2015年は、阪神・淡路大震災から20年の年でした。1月17日5時46分、東遊園地には、東日本大震災の被災地から来られたみなさんも参加して黙とうが行われ、この日は過去最高の約10万1千人が追悼に訪れました。

震災20年を機にシビックプライドの醸成をめざし、「神⼾の様々な魅⼒の中で、⼀番の魅⼒は人である」という市⺠の意⾒を集約したロゴマーク「BE KOBE」を発表しました。

4月1⽇、新年度に入り、県市協調を一層進化させるため、神⼾市東京事務所を都道府県会館内の兵庫県東京事務所に移転・併設しました。また、米国の神⼾市シアトル事務所は「神⼾シアトルビジネスオフィス」として、兵庫県ワシントン州事務所内に移転・併設しました。

同日、神⼾に関する情報を国内のみならず、広く海外へ発信するため、英国出⾝のルイーズ・デンディさんを広報専門官に任命しました。ルイーズ広報専門官は、自ら記者会見を開くとともに、SNSを利⽤した情報発信などにより、意欲的な広報活動を行ってくれました。

同⽇、市長が教育委員会と協議・調整する場として総合教育会議を設置されました。4月24⽇、第1回総合教育会議が開催され、教育⼤綱を策定する方針を確認しました。

5月1⽇、神戸電鉄シニア利⽤促進パス(神鉄シーパスワン)の発売を開始しました。シニア層(70歳以上)を対象に、神⼾電鉄全線の10⽇間フリーパスを、1枚あたり3,500円(4枚上限/人)で販売する社会実験です。⻄北神地域唯⼀の基幹鉄道である神⼾電鉄の利⽤者を増やし、公共交通網の維持・充実を図り、市⺠の交通⼿段を確保したいと考えました。

震災で被災された方に生活資金として貸し付けられた融資制度に「災害援護資⾦」があります。客観的に見て返済が困難であると考えられる方については、償還を免除できないか、国と交渉を重ねてきたところ、4月22日、国から新たな償還免除事由の取扱いについて通知がありました。この通知によれば、少額ながら償還を継続している場合であっても、借受人とその保証人がともに「弁済することができる⾒込みがない」と認定されれば、償還免除となります。この方針を踏まえ、資⼒状況の確認が必要であることから、現在⾏っているすべての償還請求を⼀時⾒合わせ、償還免除と認定された⽅には、返済期限から10年経過後に、償還免除の決定通知を順次⾏こととしました。

さわやかな5月。東遊園地が大きく変わりました。土がむき出しで人影がまばらだったグラウンドが芝生広場に変身し、「アーバンピクニック」と題し、本棚・カフェ、ゆったりと本を読みながらくつろげるイベントが開催されるようになりました。市内農家が自慢の農産物を持ち寄って販売する「ファーマーズマーケット」の開催もスタートしました。

三宮の南部地区は、これまで豪雨や台風時にしばしば浸水し、被害を受けてきたため、抜本的な防災対策を進めてきましたが、7月10⽇、中突堤ポンプ場が完成し、運⽤が開始されました。すでに運用が行われていた⼩野浜ポンプ場、京橋ポンプ場と合わせ、3ポンプ場体制で、豪雨、高潮時には迅速に雨水を海に流し、市街地を浸水から守る体制が整いました。これ以降、この地域での浸水被害は発生していません。

9月3⽇、新神⼾から三宮、元町を経て、神⼾・ハーバーランドを対象とする「神⼾の都⼼の未来の姿<将来ビジョン>」、そして神⼾の⽞関⼝である三宮周辺地区の「三宮再整備基本構想」を発表しました。構想では、神⼾の象徴となる新しい駅前空間として「えき≈まち空間」の創出を掲げました。三宮にある6つの駅と周辺のまちを⼀体的につなぐことで交通拠点としての機能や回遊性を高め、さらには神⼾らしい新たな景観をつくることを打ち出しました。

この頃、麻雀やパチンコ、カードゲームなどの遊技を提供するアミューズメント型デイサービスが問題になっていました。介護保険は保険料と公費を財源としており、こうした問題のある介護サービスが増えていくことは、保険料の上昇、利⽤者の自⼰負担の増加につながるおそれがありました。そこで、これらのサービスを規制する条例改正を全国で初めて⾏いました。改正条例は、射幸⼼をそそったり、依存性が強くなったりする恐れのある遊技を、⽇常⽣活を逸脱して利⽤者に提供しないことなどを求めています。条例改正を機に、神戸市内のみならず兵庫県内からはこのようなサービスは姿を消していきました。

9月28⽇、兵庫県の井⼾知事と兵庫県庁で共同会⾒し、新⻑⽥駅南地区の再開発エリアに、県と市で合同庁舎を建設し、税務・住宅の関係機関を共同移転する⽅針を発表しました。震災で甚⼤な被害を受けた新長田地区では、再開発事業が進められ、夜間人⼝は震災前の1.3倍に増加しましたが、昼間人⼝は震災前の7割にとどまっていました。県市の合同庁舎の整備により、1,000人規模の職員が新たにこのエリアで働くことになります。さらに来庁者の増加などにより、地域のにぎわいづくりへの効果を目指すことにしました。

2015年度(平成27年度末)をもって、半世紀にわたって進めてきた高潮対策事業が完了しました。延⻑59.8キロメートルに及ぶ海岸地域に防潮堤や防潮鉄扉などの整備を行う巨大プロジェクトでした。この事業の完了により、100年に1回発⽣するとされる津波から市街地を守ることができるようになりました。

2016年(平成28年)

1月26日、総合教育会議において、神戸市の教育の目標や施策の基本方針となる「神⼾市教育⼤綱」が決定されました。小中学校を中⼼とした学校教育に焦点を絞り、「神⼾の⼦供たちは、神⼾の教育を受けて成⻑していく中で⽣きる⼒を⾝に付け、将来の夢を育んでほしい」という思いのもと、学⼒の向上や学習の機会均等の確保など7つの方針を示しました。最重要項目である「教員の多忙化対策」に取り組むため、全教職員を対象に多忙化アンケートを実施することも決定されました。

3月30日、震災の翌年の1996年から20年の歳月をかけて整備を進めてきた水道局の⼤容量送水管が完成しました。貯留可能量は、飲料水に換算すると神⼾全市⺠の約12日間分に相当します。大容量送水管は、震災時にほぼ全市域で断水し、避難所などが過酷な状況に置かれた経験を踏まえ、神戸市が先駆的にスタートさせた大プロジェクトです。この完成により、既設送水トンネルのバックアップとしての活⽤が可能になるほか、災害時には災害時給水拠点として交通渋滞の影響を受けずに応急給水活動が可能になりました。

4月14日、そして16日に熊本地震が起きました。神戸市は、直ちに消防職員を緊急消防援助隊として派遣し、また避難所運営や保健衛⽣活動、り災証明発⾏業務などの支援のために職員を派遣しました。このほか、パッカー⾞など⾞両10台を熊本県益城町へ派遣し、ごみの収集、運搬にあたりました。

5月11日〜13日、10名の民間事業者のみなさんとともに、ルワンダ共和国の首都キガリを訪問しました。ルワンダは、IT立国を目指し、成長が著しい国です。神戸情報大学院大学に学んでいる方々も多く、民間レベルでの交流も進んでいます。キガリでは、市長や政府の閣僚などと会談し、幅広い分野で意見交換することができました。キガリ市との間で共同宣⾔に署名し、両都市の産官学の連携を促進していくことや、両国の企業間で協⼒・交流を推進することで合意しました。アフリカとの経済交流をさらに進めることとし、この後も、8月26日〜28日にケニア共和国の首都ナイロビで開催された第6回アフリカ開発会議(TICADⅥ)ジャパンフェアに出展し、神戸市とルワンダとの経済交流の取組みを紹介しました。

震災以来遅れていた街づくりを急ピッチで進めることは、私に課せられた大きな使命と考えていました。三宮駅だけではなく、市内の拠点駅の駅前の再整備は重要です。11月24日、地下鉄・新神⼾駅のリニューアル工事が完成し、記念式典が⾏われました。連絡通路を⼤きく3つのエリアに分け、「異⼈館と⼭が⾒えるエリア」、「花と緑のまちエリア」、「旧居留地とみなとのエリア」としました。改札前には光柱を配し、⼤型ディスプレイやベンチも配置しました。

この年の11月、東京にいたときから何となく構想を温めていた童話「ひょうたん池物語」を出版することができました。

2017年(平成29年)

神戸港は、1868年1月1日に開港し、以来神戸は、港とともに発展しました。2017年(平成29年)は、年間を通じ神戸港・開港150年の記念事業を実施しました。5月には「神戸開港150年音楽祭」、そして秋篠宮殿下のご臨席を賜り、「神戸開港150年記念式典」が盛大に開催されました。7月には日本最大の海の祭典「海フェスタ神戸」の中で神戸帆船フェスティバルが開催されました。後世に残る事業としては、4月にメリケンパークがリニューアルオープンしました。芝生広場の拡張や桜並木の整備、「BE KOBE」モニュメントの設置などを行いました。 6月には、神戸港の新たな顔となる福利厚生施設「神戸ポートオアシス」が開館しました。

3月18日から6月11日まで、「神戸国際フルート音楽祭」が開催されました。神戸らしい会場でのコンサート、「神戸国際ちくわ笛音楽祭」、旧居留地での「フルート300人アンサンブル」など140の多彩なプログラムが実施されました。音楽祭の中核は、6月に開催された「第9回神戸国際フルートコンクール」でした。「神戸国際フルートコンクール」は、1985年(昭和60年)から4年毎に開催されてきましたが、市民アンケートでは認知度が驚くほど低く、市民への還元という見地からも、大半の経費を市が負担するこのコンクールのあり方について問題を提起しました。これに対し、議会からは存続が強く主張され、また東京の知人から多額のふるさと納税の寄付をいただいたこともあり、公費を投入せずにコンクールを開催することとしました。このような問題提起を契機として、経済界有志によるガラ・コンサートとパーティーが開催され、その収益が次回コンクールの財源として市に寄付されるなど、市民・企業の間でコンクールへの支援の機縁が盛り上がってきました。そこで、コンクールの最終日、次回(第10回)は市費も充てて開催する方針を明らかにしました。

3月30日、北神地域の「神戸フルーツ・フラワーパーク」に、農産物直売所、物販・飲食スペースなどを備えた「FARM CIRCUS」がつくられ、道の駅「神戸フルーツ・フラワーパーク大沢(おおぞう)」としてオープンしました。新鮮な地元農産物をはじめ、地元大沢町のいちごを使ったソフトクリームや「山田錦」を使ったオリジナルの米粉ジェラートなどが販売され、地元の野菜がたっぷり味わえる飲食メニューも提供されます。一時は不振を極めていた「神戸フルーツ・フラワーパーク」の集客は大幅に増え、雰囲気も一変しました。

地域の生活の足を確保するため、コミュニティバスの運行は、私の重要な公約です。4月1日、垂水区塩屋地域において、コミュニティバス「しおかぜ」の本格運行がスタートしました。市内で初めてタクシーを活用した取り組みです。10月2日からは、北区八多町で、田園地域初のコミュニティバス「はたっこバス」の本格運行がスタートしました。また、7月1日から、地下鉄・海岸線の「中学生以下無料化社会実験」がスタートしました。神戸市民かどうかを問わず、中学生以下のすべての子どもたちの運賃を無料にする試みです。

8月、増田寛也さんとの対談による「神戸市の挑戦―持続可能な大都市経営」を出版することができました。課長補佐時代から存じ上げ、総務大臣ご在任時にお仕えした増田寛也さんに対談をお引き受けいただいたことはありがたいことでした。

9月26日、神戸市は、関西エアポート神戸(株)と、神戸空港のコンセッション実施契約を締結しました。神戸空港の所有権を市が保有したまま、民間事業者に運営権を設定する契約です。事業の開始は、2018年(平成30年)4月1日とされました。関西エアポート神戸(株)は、すでに関西国際空港と伊丹の大阪国際空港を運営しており、今回のコンセッション実施により、関西における三空港の一体運営が実現されることになりました。2006年2月に開港した神戸空港は、一層の利活用に向け、新たな段階を迎えることになりました。

全国的に救急出動件数は増え続けています。救急搬送の約6割は入院の必要のない「軽症」の方で、現状を放置していると、真に救急車が必要な傷病者への対応が遅れることが危惧されていました。そこで、10月2日、「救急安心センターこうべ」を新たに設置し、短縮ダイヤル「#7119」による救急電話相談を開始しました。医療機関案内と救急医療相談を行う電話相談窓口です。急な病気やけがが生じた場合の相談を24時間365日受け付けます。

10月22日、神戸市長選挙が執行され、午後8時過ぎ、報道機関から当選確実の情報が流れました。台風21号が本州沖を通過中で、神戸では風速40メートルの暴風が吹き荒れていました。このような状況の中を事務所までお越しくださいましたみなさまに対し、感謝とお詫びを申し上げました。頭の中は、被害や避難の状況はどうなっているか、初めての国政と市長選挙の同日選挙を、このような大嵐の中で無事執行できるのか、道路が途絶したら投票用紙を運搬できるのか、といったことでいっぱいでした。万歳三唱はとりやめ、せっかく祝福にお越しいただきましたみなさまには申し訳ない想いでしたが、短時間で終えました。選挙結果は、お陰様で、史上最多の得票をいただき、2期目を担わせていただくことになりました。得票結果は、次のとおりでした。

久元きぞう34万0,064票
光田あまね10万3,490票
松田たかひこ7万2,627票
中川ちょうぞう5万7,794票

選挙結果詳細

翌日に予定していた登庁式は中止し、幹部職員への挨拶も取りやめました。

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