総務省自治行政局長として

2008年(平成20年)

7月、総務省自治行政局長になりました。

直ちに、外国人住民制度の創設作業に着手しました。

外国人登録制度を廃止し、中長期滞在の外国人、特別永住者を住民基本台帳の対象とする制度改正です。住民基本台帳法改正案は、2009年(平成21年)の通常国会に提出し、成立しました。

すでに第29次地方制度調査会では、市町村のあり方に関する議論が進んでいました。第29次地方制度調査会は、2009年6月、「平成の大合併」を「一区切り」とすることを答申しました。10年以上にわたって続けられてきた「平成の大合併」の終焉宣言でした。この答申には、このほか、議員定数に関する法定上限を撤廃すること、法定受託事務も議会の議決事件に追加できるようにすること、複数の地方自治体が共同して効率的に事務を処理できるよう、行政機関(保健所など)、内部組織(局、部、課など)、委員会などの事務局を共同で設置できるようにすることなどが盛り込まれました。

一方、住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)については、東京都国立市、福島県矢祭町がこれに接続せず、違法状態が続いていました。このために、いわゆる「消えた年金」の解明も進まず、住民や国民、ほかの自治体に被害が及んでいました。

私は、市長や町長の独善的な判断によって違法状態が生じ、国民に不利益が生じることは看過できないと考え、鳩山邦夫総務大臣に献言し、国立市長、矢祭町長に対してはじめて地方自治法による是正の要求を行いました。しかし、両市町長はこれを従わず、第三者機関である国地方係争処理委員会に審査の申し出もしませんでした。完全に制度を無視する挙に出たのです。

立法的な解決が求められていました。

そこで、2009年7月、「国・地方間の係争処理のあり方に関する研究会」を立ち上げました。座長には、我が国公法学会の最高権威、塩野宏東京大学名誉教授にご就任をお願いしました。研究会では精力的に審議が行われ、同年12月、是正の要求などを受けた自治体が国地方係争処理委員会に申し出をしない場合などには、大臣が自治体に対して訴訟を提起することができるようにすることなどを内容とする報告書が提出されました。

2009年8月の政権交代により就任された原口一博総務大臣から、地方自治法の抜本的な見直しの指示があり、2010年(平成22年)1月、総務省に地方行財政検討会議(議長:原口総務大臣)が設置されました。

私は、伝統的な議会と首長の二元代表制の見直しを含む、幅広い見直し検討項目を作成し、この項目に沿って審議が開始されました。この年の通常国会には、第29次地方制度調査会答申(平成21年6月)を実施するための地方自治法の改正案、合併特例法の改正案を提出しました。合併特例法案は成立しましたが、地方自治法改正案は継続審議となりました。

2010年9月に就任された片山善博総務大臣は、地方自治制度における住民自治を重視しておられました。そのような見地から、地方行財政検討会議においては、拘束的住民投票制度の導入、直接請求の対象の地方税の賦課徴収などへの拡大、議会の解散、長などへの解職請求における要件の緩和などが議題に追加されましたが、地方六団体側との調整は難航し、翌2011年(平成23年)の通常国会が始まっても、決着しませんでした。

2011年(平成23年)

3月11日、東日本大震災が発生しました。

総務省の建物も大きく、そして長く揺れました。直ちに情報収集と緊急時対応に入りました。

その日のうちに何度も、片山善博総務大臣と打ち合わせました。

岩手県大槌町では、町長の安否がわからないという情報が入りました。災害対応の司令塔になるべき自治体自身が壊滅状態になっているようでした。自治体への対応だけでも、やるべきことは山ほどありました。

統一地方選挙は来月に迫っていました。選挙部では、地震発生の日から、直ちに、被災地の統一地方選挙を延期する法案の立案に入りました。

住民票のデータが滅失している自治体もあったので、県が住基ネットのサーバーで保管している住民情報を被災自治体で活用できるよう、条例改正を岩手、宮城、福島の3県にお願いしました。

全国の自治体からの職員派遣も重要課題で、知事会や市長会などと調整しました。福島第一原発は極めて憂慮すべき事態となり、多数の避難者が発生していました。内閣府に被災者生活支援特別支援本部が設けられ、片山大臣とともにたびたび出席し、その調整結果を踏まえて、関係府省や自治体との調整に当たりました。

同本部次長には、総務省自治大学校から転じた岡本全勝氏が就任し、意欲的な対応を行っていました。私は、岡本氏の後を受け、自治大学校長も兼務となりました。

通常国会で、継続審議となっていた地方自治法改正案の審議が成立しました。

国会対応と並行して、震災対応を進めました。

全国に散らばっている膨大な数の避難者の所在を把握し、住民票がある避難元の自治体に情報を送付することが急務で、「全国避難者情報システム」を構築し、運用を開始しました。

また、福島第一原発周辺からの避難者は、内閣総理大臣からの指示によって避難を余儀なくされているという特別の事情がありましたので、避難先の自治体で確実に行政サービスの提供を受けられるようにする必要がありました。急遽、そのための「原発避難者特例法案」を立案して国会に提出し、成立を見ました。

これらの対応については、朝日新聞の連載シリーズ「プロメテウスの罠」でも紹介されています。

このようにして、東日本大震災への対応を行う一方、地方行財政検討会議における地方時制度改革の議論も進めました。拘束的住民投票制度の導入など住民自治に関する事項は地方六団体との調整を進める必要があり、総務大臣が議長の会議で調整を行うには無理がありました。

こうしたことから、改めて地方制度調査会を立ち上げ、これらの事項を含めて、地方自治制度改革の舞台を、地方行財政検討会議から移すことにしました。

8月に第30次地方制度調査会が発足しました。

会長には西尾勝東京大学名誉教授、副会長には畔柳信 雄三菱UFJ銀行会長(当時)が就任され、重厚な布陣となりました。

第30次地方制度調査会は12月、自治法改正に関する意見を提出し、自治法改正の内容は決着を見ました。

民主党政権では、社会保障と税を一体的に改革するためには、共通番号制度の導入が不可欠であるという機運が高まり、内閣官房を中心に具体的な検討が進められていました。民主党は、かつて住基ネットの導入に反対し、その後も、住基ネットの廃止法案、凍結法案を国会に提出していましたので、政権交代後、私は、住基ネットの内容や現状について、政務三役、民主党幹部に対して慎重に説明を進めました。

政権内では住基ネットに対する理解が深まり、共通番号は住基ネットの住基コードを変換して作成されるなど、住基ネットが全面的に活用されることになりました。

システムの構築やデータ・マッチングの方法などについては民主党内でさまざまな意見がありましたが、何とか共通番号制度の具体化が図られることになりました。

2012年(平成24年)

通常国会に、地方自治法の改正案を提出しました。

地方自治体の選択により通年の会期を設定できるようにすること、長が議会を招集しないときは議長が招集できるようにすること、専決処分の対象から知事、副市町村長を除外するとともに、必要な措置を講じることを求めること、長の議会への再議権の対象を総合計画などに拡大すること、国から自治体への違法確認訴訟制度を創設することなどです。

また、マイナンバー法案と名付けられた共通番号制度導入のための三法案も提出されました。

一方、大阪都構想の実現をめざす大阪維新の会は、民主党、自民党、公明党、みんなの党などに大阪都構想実現のための法案の提出を要請。「大都市地域における特別区の設置に関する法律案」としてとりまとめられ、議員提案として国会に提出されました。10の指定都市と周辺地域を対象として、指定都市などを解体して特別区を置くことができるようにする、いわば、「指定都市解体法案」です。

指定都市を幅広く解体する理由や必要性など考えられず、私は、実質的に大阪府のみに限定する内容にするよう、水面下で働きかけましたが、政治的な理由によりかないませんでした。たいへん残念でした。地方自治法の中にこのような内容が盛り込まれなかったことだけが救いでした。

この年の通常国会は、国会運営が混乱を極め、法案の審議がなかなか進みませんでした。

国会も終盤を迎えた、2012年8月29日、地方自治法改正案は、野田総理大臣の問責決議が可決されて国会審議がストップするわずか2時間前に、参議院本会議で可決、成立しました。ぎりぎりの法案成立でした。

「指定都市解体法案」も同時に成立しました。今回の地方自治法改正では、国から自治体への違法確認訴訟制度の創設が盛り込まれましたが、振り返れば、自治体の事務処理に関する適法性確保の方策を検討するよう、片山虎之助総務大臣(当時)から指示されたのは、行政課長であった2003年のことでした。それがこのような形で実現を見るまで、9年あまりの歳月が流れました。

国が自治体を訴えるという、一見、分権に反するような手法に対しては、総務省内においても嘲笑する向きもあり、懇意にさせていただいてきた知事や市長に説明しても、反応は冷ややかでした。

しかし、私は、選挙で当選して獲得した民主的正統性を振りかざし、法の支配を無視して暴走する一部の首長のやりたい放題を放置することは、決して地方自治のためにはならないと確信していました。

困難な状況が続きましたが、転機は、塩野宏先生を座長とする「国・地方間の係争処理のあり方に関する研究会」の設置と報告書の提出でした。この報告書の内容に対しては、いくつかの全国紙が社説で賛意を表明し、国民への理解が進みました。

違法確認訴訟制度の創設を含む地方自治法の改正が、国家公務員としての私の最後の仕事となりました。

総務省を辞職

2012年9月11日、私は、川端達夫総務大臣に辞職願を提出し、総務省を辞職しました。1976年4月以来、36年5ヶ月余り、公務員として仕事をしてきました。国家公務員としての勤務は、24年8ヶ月余り、地方公務員としての地方自治体での勤務は、11年9ヶ月でした。

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