総務省勤務

2001年(平成13年)

1月、省庁再編で、総務省が発足し、自治財政局財務調査課長になりました。

自治体の財政再建や財政状況の調査などが主な仕事でした。

財政危機に陥った自治体の財政再建に関する制度としては、1950年代に制定された地方財政再建特別措置法がありましたが、古色蒼然とした法律で、私は、単年度の赤字の額だけで事実上の自治権を奪い、国の管理下に置くこととする制度のあり方には疑問を感じていました。そこで、諸外国の制度はどうなっているのか調べることにしました。

たまたま、4月に総務省に入省し、財務調査課に配属された新人は、英語が得意の優秀な女性でした。彼女に調査を頼むと、さっそく、米国ペンシルベニア州の自治体財政再建法(Municipalities Financial Recovery Act)を探し出してくれました。

さすがに手続法の国だけあって、州政府が発動する財政再建措置の要件、手続き、効果が詳細に規定されていて、感心しました。

私は、1年未満で去りましたが、財政再建制度の見直しがその後本格的に始まり、古い法律が廃止されて、「地方財政の健全化に関する法律」が制定されたのは、2007年(平成19年)6月のことでした。

2002年(平成14年)

1月、総務省大臣官房企画課長になりました。

総務省全体の政策の立案、省内の調整ですが、仕事の大半は、経済財政諮問会議での大臣への事前説明でした。

当時の小泉内閣では、竹中平蔵大臣を中心とする経済財政諮問会議が重要な政策決定の舞台でした。総務省の重要テーマは地方財政で、片山虎之助総務大臣と、「塩爺」(しおじい)こと、塩川正十郎財務大臣が、毎回、激論をたたかわせていました。

このメインテーマは自治財政局の担当で、地方財政以外が私の担当でした。テーマは多岐にわたり、税効果会計を見直すなどの金融再生のハードランディング路線などがよく議論されました。これら以外にも、毎回、次々に出される議題について片山虎之助総務大臣に説明できるよう、必死に勉強しました。

総務省は、私が属する旧自治省、旧郵政省、旧総務庁の、それまでほとんど関係がなかった役所がいっしょになった典型的な寄合所帯でしたが、ほかの二系統のみなさんと議論をたたかわせるのは楽しいひとときでした。

2003年(平成15年)

1月、総務省自治行政局行政課長になりました。

地方自治制度を担当する課です。

地方自治制度は比較的専門的な分野とされ、今までほとんど行政課の経験者が課長になっていましたので、素人の私には驚きでした。しかも、公の施設に指定管理者制度を導入する地方自治法の改正案、地方にも独立行政法人制度を導入する法案の立案、国地方係争処理委員会委員の国会同意人事、第27次地方制度調査会での大都市制度のあり方の議論開始などの懸案が目白押しでした。

基礎的な知識を欠いているような状態でしたので、朝5時に起き、松本英昭著「逐条地方自治法」を読んで勉強しました。

当時、第27次地方制度調査会では、「平成の大合併」推進のための法案の期限が2005年(平成17年)に迫っていて、財政優遇以外の方法による市町村合併を推進する方策についての議論が行われていました。町村会との間で白熱した議論がありましたが、11月には、諸井虔会長から小泉純一郎総理大臣に答申が提出されました。

すぐに、この答申を実施するための地方自治法改正案、新しい合併特例法案の立案にかかりましたが、2004年(平成16年)春の自民党総務部会での合併に関する議論は紛糾し、原案を修正して法案の国会提出にこぎつけました。

法案審議と並行して、第28次地方制度調査会が設置され、道州制の議論が始まりました。またこの調査会では、地方自治体のトップマネジメントのあり方や地方自治法の規定を弾力化する方向での議論も行われることになりました。

2005年(平成17年)

1月、総務省大臣官房審議官(地方行政・地方公務員制度、選挙担当)になりました。

12月、都道府県の出納長、市町村の収入役を廃止して、副知事・副市町村長の制度に一本化すること、事務吏員・技術吏員の区別を廃止することなどを内容とする答申が提出されました。この答申に基づき、地方自治法改正案を準備し、翌年の国会に提出しました。

副知事・副市町村長の制度への移行は、単に助役を副市町村長に名前を変更しただけではありません。役割や権限の強化、明確化を図り、自治体におけるトップマネジメントの強化が目的でした。

首長がこまごました仕事をもっと下に任せ、大きなビジョンを描いてリーダーシップを発揮できるようにすることを目指していました。また、長く続いていた、事務吏員・技術吏員の区別も廃止されました。

第28次地方制度調査会では、引き続き道州制の議論が行われ、2006年(平成18年)2月、諸井虔会長は、小泉純一郎総理大臣に答申を提出しました。「道州制」という言葉には、それ自体意味はなく、その内容を明確にすることが求められていたのですが、この答申は、道州制の制度の骨格をかなり具体的に提示した点に意義があり、今日に至る道州制の議論に際しては、必ず参照されています。

2006年(平成18年)

通常国会で、住民票の閲覧を制限するための住民基本台帳法の一部改正案無事成立し、国会が閉会した後、桜井郁三総務大臣政務官の海外出張に随行を命じられました。

桜井先生は、自民党職員出身の党人政治家で、事務方の苦労もよくわかる気さくな方でした。昔の政治家の秘話、それにスーツケースに衣装を入れるパッキングの方法まで教えていただきました。桜井先生は、2012年にご逝去になりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

7月、総務省選挙部長になりました。

選挙部長は選挙法に精通したプロがなることが多いのですが、私はまったく初めてで戸惑いました。8月に父が亡くなり、実家やお寺の控室で、「逐条解説公職選挙法」を勉強しました。

秋の臨時国会に翌年の統一地方選挙のための特例法案を提出しました。特段の問題はないと思っていたのですが、自民党の政務調査会は紛糾しました。選挙期日を統一すると在任期間が短縮される地方議員が出てきて、議員年金の要件である12年在職を満たさないケースも出てくるため、何日か在任期間が足りなくても要件を満たすとする特例を置いていました。これがお手盛りだと批判されたのです。発言者は1名だけだったのですが、結局1回では了承されませんでした。

どうして一部の国会議員は地方議員を目の敵にするのか、理解できませんでした。

2007年(平成19年)

通常国会で、いわゆる国会議員の事務所費が問題となり、私は、予算委員会やほかの委員会でもかなり答弁に立ちました。

予算委員会では、野党の質問に対する私の答弁で審議がストップすることもありましたが、求められるままの答弁をするわけにはいきませんでした。

当時、知事の多選問題が話題になっていました。菅義偉総務大臣の指示で、首長の多選禁止のあり方に関する研究会を立ちあげ、報告書を出しました。座長の高橋和之明治大学教授をはじめ、学界を代表する憲法学者、政治学者の先生方による議論は奥行きが深く、興味深いものでした。

この年の臨時国会では、政治資金の収支報告の厳格化、監査の導入、政治資金適正化委員会の創設などを内容とする政治資金規制法案が成立しました。議員提案でしたので、法案立案のサポートや実施体制の準備に汗を流しました。

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