私が歩んできた道

(7)神戸市副市長として

My History 7

2012年

2012年(平成24年)10月下旬、私を副市長に選任する同意議案が、矢田立郎市長から神戸市会に提出されました。自宅のインターネット中継で、私の選任同意に反対する、共産党、みんなの党の討論を見ることができました。

市会での同意議案は賛成多数で可決され、11月1日、私は、矢田立郎市長から副市長に任命されました。市民参画推進局、産業振興局、消防局などが所管となりました。

神戸に戻るのは40年ぶりで、神戸の街は、震災などにより大きく変わりました。また、神戸市役所で仕事をするのは初めてでしたから、しっかりと勉強しようと決意しました。所管以外の局、部を含め、職員のみなさんは丁寧に現状や課題などについて説明をしてくださいました。

さまざまな団体、会社のみなさんとも、いろいろな会合でお会いしたり、来訪していただいたり、それぞれお話をお伺いすることができました。
本当に仕上げることができるのだろうという迷いもありましたが、これまでの地方自治に関する経験を踏まえ、『ネット時代の地方自治(サイト内リンク)』を執筆することにしました。夜、帰宅してから、あるいは、早朝4時半に起床し、書き始めました。

2013年(平成25年)

神戸市役所の新年はかなり慌ただしいものでした。
ホテルなどでの新春互礼会、新年会、さまざまな団体の来訪などの行事があり、一方で、2013年度(平成25年度)当初予算の編成作業が行われました。予算編成作業はそれぞれの自治体によって独自の流儀があるもので、神戸市の予算編成も、財政局長として関わった札幌市の予算編成などとはかなり趣を異にしていました。

市会の最終日の3月28日、本会議で、矢田立郎市長は、「神戸は新しいステージに向かう」と発言され、10月に予定される市長選挙に4選出馬しない方針を明らかにされました。

新年度に入ると、さまざまな団体などから講演を依頼される機会が増えました。公務の合間を縫ってこれまで知らなかったさまざまな分野のみなさんと神戸の現状と将来について意見交換を行いました。帰宅すると、著書『ネット時代の地方自治』(リンク)の執筆をつづけました。

黄金週間を過ぎると、私に対して市長選挙に出馬を促す動きが少しずつ出てきて、さまざまな団体から推薦状をいただくようになりました。

神戸市会各会派の動きも活発化してきました。

6月6日、私は、矢田立郎市長に副市長の辞表を提出して受理され、大勢の職員のみなさんの見送りを受け、7か月余り過ごした市役所を後にしました。

(8)神戸市長選挙への出馬と当選
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