私が歩んできた道

(3)昭和の自治省・自治体勤務

My History 3

1976年(昭和51年)

4月に自治省に入り、7月に石川県に赴任し、総務部地方課に配属されました。

翌1977年4月、総務部財政課に異動になり、月に200時間以上、最高で月290時間の残業を張り切ってこなしました。
一日の仕事の中でわからなかったことを、家に戻ってノートの左ページに書き、その答えを地方自治の参考書で調べて書きつけました。
夜が白々と明けていたこともよくありました。

もちろん、残業時間の多さについては、決して自慢できる話ではなく、あのようなことを今の若手がさせられることがないようにすることが大事だと思っています。

1978年(昭和53年)

4月、自治省消防庁防災課に配属になりました。

当時、大規模地震対策特別措置法が施行されたばかりでした。
マグニチュード8以上の東海地震を想定し、地震予知情報をもとに内閣総理大臣が警戒宣言を発して万全の予防対策を講じると言った内容でしたが、そもそも、地震の予知なんてできるのか、もし、予知ができなければすべてが机上の空論なのではないのか、という疑問は消えませんでした。

1979年(昭和54年)

7月、自治省公務員部公務員第1課の配属になりました。

ILO条約への対応などを担当しました。次々に回ってくる英文と格闘する日々が続きましたが、懸案となっていた、公務員の定年制の法案化が急がれることになり、条文の検討に入りました。
初めての法律立案作業で、わくわくする毎日でした。

法案が提出され、審議が始まると、上司は太っ腹で、駆け出しの私に、法案審議の大臣のサポートを任せてくれました。
国会の地方行政委員会の審議で、安孫子藤吉自治大臣の後ろに陣取り、とても緊張しました。

大臣はタバコ好きの穏やかな人柄で、ときどき後ろを向くので、ぎこちなくライターで火をつけました。
あるとき、法案審議の最中、「分限とは何だ」とお聞きになるので、とっさに「身分保障の限界です」と答えました。
長々と答える時間がなかったので、ワンフレーズで答えたのですが、正しかったのかどうか、不安でたまりませんでした。

1981年(昭和56年)

7月、青森県企画部副参事になりました。

寝台列車「はくつる」に乗り、早朝に青森駅に着きました。
1年上の先輩が迎えに来てくださり、ご自宅で、朝ご飯をごちそうになり、感激しました。
企画課長になったあと、総務部地方課長になり、青森県の市町村行政を担当しました。
青森県選挙管理委員会事務局長を兼ね、第37回衆議院議員総選挙を執行しました。

当時の青森県では、県庁もほとんどの市町村も「冬時間」でした。
休憩時間を二つに分けて、休息時間と一緒に勤務時間の後ろにくっつけ、4時半には帰宅するのです。
私は、これは適当ではないと考え、市町村の「冬時間」是正に乗り出すことにしました。
ラジオ番組にも出演し、是正を訴えました。

当時の北村正哉青森県知事は、公正で正義感の強い方でした。
「自分たちがやっていることを人に直せと言うのはおかしい。地方課がやっていることは笑止の至り」と怒っておられるとの話が伝わってきましたが、「市町村がやめれば、県庁もやめることになる。
毛沢東語録によれば、『農村から都市を包囲する』」と、うそぶき、方針は曲げませんでした。

その後、県庁を含め、「冬時間」はなくなりましたが、若気の至り、傲慢不遜な態度だったと反省しています。

1985年(昭和60年)

自治省に戻り、消防庁危険物規制課課長補佐になりました。

ガソリンスタンド、石油タンク、コンビナート、パイプラインなどの安全規制を担当しました。

当時、給油取扱所(ガソリンスタンド)で販売してもよい品目は、昭和42年の課長通知で、タイヤはよいが、日用品はダメなどといった規制をし、業界団体から規制の緩和を求められていました。

私は、一片の課長通知で営業の自由を縛るのはおかしいと考え、政令を改正して、品目規制はやめるとともに、面積の上限を設けることにしました。

5年くらいはこの改正で持つだろうと思っていましたが、この改正は、現在も効力を有しているようです。

危険物規制課では、4代の課長に仕え、消防法改正なども担当しました。

1987年(昭和62年)

9月、京都府地方課長になりました。

市町村行政を担当する地方課長は、青森県に続き、二度目でした。

消費税が導入されることになり、準備に追われました。
とくに、行政が提供するサービスの対価である使用料・手数料に消費税を上乗せするのかどうかが焦点でした。転嫁するというのが国の方針でしたが、京都府はしばらく様子見をすることになりました。

町村会の総会に出向き、町村長さんに、「京都府は上乗せしませんが、市町村は上乗せするようにお願いします」と頭を下げたところ、「そんなアホな」「何を言うとるんや」と、野次と怒号で騒然となりました。

(4)平成の自治体・霞が関勤務
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