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読売新聞 令和2年1月13日(月)朝刊

阪神大震災25年 -1.17の記憶- 第2部5
産業衰退に追い打ち

 大災害は変化を加速させるといわれる。
 例えば2004年の新潟県中越地震。村への道が寸断され、全村避難を余儀なくされた新潟県の旧山古志村(現・長岡市)では、過疎化に拍車がかかった。その後に住民が「帰村」したものの、地震前約2200人だった人口は今は900人余りに減少した。
 明治から港を中心として発展した神戸。1960年代以降、山を切り開き、海を埋め立てる大胆な都市開発で「株式会社・神戸市」と称された街に95年1月17日、震度7の激震が襲った。変化は産業の衰退という形で表れた。
 震災前、世界6位につけていた神戸港のコンテナ取扱量は翌年、23位に転落。「世界の工場」としてアジアが台頭する中、その立ち位置は瞬く間に韓国・釜山や中国・上海にとって代わられた。
 2013年に市長に就任した久元喜造(65)は時代を振り返る。「右肩上がりの社会が終わり、曲がり角にさしかかった街に震災が追い打ちをかけた」(敬称略)

再開発 あつれきと信念

空港、医療 成長の兆し

 1995年1月の阪神大震災直後、神戸市長だった笹山幸俊(2011年に87歳で死去)は二つの大きな決断をした。

 一つは神戸空港の建設。「陸海空の都市機能の充実が必要」と言及したのは地震発生からわずか1週間後。20万人を超える市民がまだ避難所で途方に暮れていた。立て続けに1月末、大火に見舞われた長田区の再開発計画を発表した。ケミカルシューズ工場と木造住宅が密集していた地域を、近代的なビル群に生まれ変わらせる計画だった。

 「住民不在」「開発偏重」と批判を受けた決断の背景を、後継市長として2001年にバトンを引き継いだ矢田立郎(79)は「笹山さんは、街を進化させねばという信念で進めていた」と代弁する。

 1990年代前半にバブルが崩壊し、社会に高齢化の波が押し寄せ始めていた。後に「失われた10年」と呼ばれる時代。国土計画の第一人者で政府の復興委員会の委員長を務めた元国土庁事務次官・下河辺淳は周囲に、「成長が下がる前提での計画論は初めてかもしれない」と漏らした。

 「円高と国際競争で傷んでいた産業が打撃を受けた」「港が復旧しても、港の荷はかなり減るだろう」。復興委の議事録からは、神戸の産業の先行きを危ぶむ委員の様子がみてとれる。

 下河辺や兵庫県知事の貝原俊民が将来についてのビジョンを語る中、市長の笹山が復興委の場で口を開くことはほとんどなかった。

 笹山は終戦翌年に市に入庁し、一貫して都市計画畑を歩んだ。神戸の街を熟知し、地震直後、「状況を見てこい」と指示された職員が現場に行くと、笹山が予想した通りの被害で驚いたという逸話が残る。

 そんな実務家の笹山が推し進めた2本柱は、生活再建がままならぬ被災者との間にあつれきを生んだ。

 3選を果たした97年秋の市長選の得票数は約27万票。前回選から得票率を大きく下げ、次点候補に約5万票差まで迫られた。98年、空港建設の是非を問う住民投票を求める運動が起こり、市役所前には自らの得票数を上回る30万人超の署名が入った段ボール箱が積み上げられた。

 それでも笹山が方針を変えることはなかった。退任後、復興への評価を聞かれても「自分で言うことではない」と言及を避けた。

 市の将来展望に市民が反発している間も、造船や鉄鋼、ゴムなどの製造拠点が市外に流出していった。

 笹山の後継市長となった矢田が進めたのは、埋め立て地・ポートアイランドに医療系企業を呼び込む「医療産業都市」構想だ。

 市長選を半年後に控えた2001年春、矢田は米・メリーランド州にある国立衛生研究所を訪ねた。設立以来、100人を超えるノーベル賞受賞者を支援する研究所と、周囲に集まる企業群を視察するためだった。

 度肝を抜かれたのが、当時、ヒトゲノムの解析を世界的にリードしていたバイオ企業の施設。がらんとした建物に研究者の姿はほとんどなく、中央に円筒形の巨大なスーパーコンピューターが据えられていた。

 矢田は最先端の医療産業の将来性を確信する一方、「神戸でどこまでのことができるのか」と、不安も覚えたという。

 未曾有の惨禍から四半世紀。多くの批判を押し切って進められた街の姿を今、評価するのは難しい。

 震災前に政令市で5番目だった人口は福岡、川崎に抜かれて7位に転落。長田区の再開発地区に人口は戻ったが、ケミカルシューズ産業は再興を果たせず、商店街にもにぎわいが戻りきっていない。

 一方で06年の開港から長く低迷が続いた神戸空港は昨年、念願の発着枠の拡大にこぎ着け、1日の便数の上限が60から80に増えた。医療産業都市には約370の企業や団体が進出し、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った先端医療の研究、手術用ロボットの開発が進む。

 「グローバルな都市間競争の中で、神戸市は存在感を発揮していかなければならない」。次の時代へのかじ取りを担う市長の久元喜造にとって、笹山と矢田がまいた種は芽を吹き、確かな手応えとなっている。

 復興に費やした25年が終わり、神戸の新しい道のりが始まろうとしている。

(敬称略、おわり。この連載は森重孝、上野綾香が担当しました)

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