久元 喜造ブログ

新井勝紘『五日市憲法』


明治維新百年の1968年、当時の東京都西多摩郡五日市町の旧家、深沢家の土蔵で、自由民権運動期に作成されたと考えられる憲法草案が見つかりました。
本書は、発見者自らによる文書の修復、解読、そして憲法草案の起草者探索の物語です。
作業に当たったのは、東京経済大学、色川大吉教授と筆者をはじめとするゼミ生たちでした。

後に「五日市憲法」と呼ばれるようになった憲法草案の全文は、本書に掲載されています。
全五篇、204条から成ります。
とくに「第二篇公法」は、「日本国民は各自の自由を達す可し。他より妨害す可らず。且国法之を保護す可し」から始まり、国民の権利が具体的に規定されています。
府県の自治には干渉、妨害してはならない、という地方自治の保障に関する規定も注目に値します。
「第五篇司法権」の詳細な人身保護規定も目を引きます。

この憲法草案の起草者、千葉卓三郎とはどのような人物だったのでしょうか。
筆者は、ほとんど手掛かりがない中を千葉の人物像を求めて探索の旅に出ます。
土蔵の古文書の中から、出生地が宮城県栗原郡志波姫町であることを突き止め、役場の戸籍簿から千葉の本籍を見つけます。
千葉の子孫は住んでいませんでしたが、筆者は限られた情報を頼りに、石巻、そして仙台へと探索を続け、とうとう千葉の子孫が神戸市兵庫区祇園に居ることを突き止めます。

筆者の探索には、兵庫区役所も協力しました。
紆余曲折がありましたが、1969年3月17日、筆者は、神戸大学附属病院南寮111号室で、千葉のご遺族、千葉敏雄さんと面会します。
そして病床の敏雄さんから、唯一現存する千葉卓三郎の肖像写真を託されたのでした。