神戸市長久元 喜造ブログ

昭和42年水害から半世紀


神戸は、しばしば大きな水害、土砂災害に見舞われてきました。
とくに、半世紀前の1967年に発生した昭和42年災害は、折に触れ想起する必要があります。

昭和42年7月9日、熱帯低気圧となった台風7号が梅雨前線を刺激し、集中豪雨をもたらしました。
神戸市内で、死者・行方不明 92名の大きな犠牲者を出しました。
床上浸水 7,819世帯、床下浸水 29,762世帯、全壊・流出 361世帯に及びました。
とくに、葺合区市ケ原では、世継山の西側斜面が大規模に崩落、一瞬のうちに山麓の民家数戸と葺合警察署市ケ原駐在所を押しつぶし、21人が生き埋めになりました。

当時私は、山田中学の2年生で、たまたま湊川に遊びに来ていたのですが、帰宅しようと思って神戸電鉄湊川駅に行ってみると、ホームに止まっていた電車が完全に水没していました。
神戸電鉄も大きな被害を受けて不通になり、全線で運転を再開したのは、7月17日朝のことでした。

臨時バスが運行されることになり、西宮の山口を通り、数時間かけて鈴蘭台の自宅に戻ったのを思い出します。

遡れば、1938年(昭和13年)の阪神大水害は、616名の死者・不明者を出しました。
昭和42年災害の雨量は、これに匹敵する量でしたが、市内の浸水区域の面積は、阪神大水害の浸水区域に比べ、約1/5に縮小しています。
また、阪神大水害で大きな被害が出た住吉川、都賀川、生田川ではほとんど浸水は生じませんでした。
この間に実施された治山治水事業が一定の効果を発揮したと言えます。

神戸市では、当時の画像 などを公開し、各種事業を実施しますので、 ウェブサイト をご覧ください。