模倣力、あるいは、自分を直す能力


少し前の教育助言会議で、ある先生から興味深い発言がありました。

どのような人物が教員にふさわしいか。
はじめから良い授業ができる学生ではない。
学生に授業をさせてみて、改善点などアドバイスや注意を与え、どのように進歩しているのかを見る。
最初からよく出来てはいるが、進歩が少ない学生よりも、最初はできが悪くても、注意や助言を受けて大きく改善が見られる学生を採用すべきだ。

含蓄のある指摘だ感じました。
先輩や専門家のアドバイスを聞いて、それらを取り込み、自分を直すことができる能力。
自説や自分のスタイルにばかりこだわらず、柔軟に反応することができる能力。
それはある意味で、  – ことがらを矮小化する恐れもありますが-  模倣する能力なのかもしれません。

模倣力というと、独創性や信念、あるいは良心の対極にある、何か後ろめたいイメージがありますが、そう決めつけるのはいかがなものでしょうか。
天才モーツァルトも、ハイドンやヨハン・クリスティアン・バッハの作品を研究し、模倣しながら自らの作風をつくりあげていったことが知られています。

今日、総合教育会議が開催され、私から、そんな教育助言会議での議論を紹介しましたが、教育委員会として、そのような試験方法は難しいとのことでした。
いくら問題提起しても、教育委員会事務局から返って来る答えは、自画自賛ばかりです。
人材獲得競争が激化している今日、たくさんの有為な人材に受験してもらい、研ぎ澄まされた眼力で人材を選抜していくことが必要です。
そのための労を惜しんではならないように感じます。