久元 喜造ブログ

鈴高新聞 1995年2月28日号

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先日、高校生のみなさんと防災情報の伝え方についてディスカッションをしたとき、県立鈴蘭台高校の「記者」が取材に来てくれました。
そして、帰り際に、「あとで読んでください」と、紙封筒をいただきました。

封を開けると、「鈴高新聞」が入っていました。
まず、1995年2月28日(火)発行の鈴高新聞が目に入りました。
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震災から一月あまりしか経っていない日付の新聞には、卒業式とともに、震災に関する記事がたくさん掲載されていました。
「窓ガラス100枚われる」との見出しで、「図書室の上の屋上の陥没や窓ガラスが割れるなど、校舎にも多くの破損個所が見つかった」ことが記されていました。
かなりの被害だったと想像できますが、それにもかかわらず、「他校に比べて被害はわずか」との見出しがつけられています。

周辺住宅地を含めて大きな被害を受けた県立兵庫高校が、2月8日から鈴蘭台高校で授業を開始し、対面式と両校の校長、生徒会長のあいさつが行われたことも記されています。
過酷な状況を、高校の先生方、生徒のみなさんが助け合って乗り越えていこうとする様子が、いきいきと伝わってきました。

ほかの新聞も同封されていて、2015年1月26日号では、東遊園地での追悼式に編集部員が参加した模様と感想が記されていました。

震災当時まだ生まれていなかった鈴高のみなさんが、当時のことに思いを馳せ、あの日と今をつないでいこうとしていることがよくわかりました。
鈴高のみなさん、ありがとう!