久元 喜造ブログ

夢か現か。

asada
1960年代の初め、小学生1,2年生だったころ、自分が見た光景が、夢だったのか、現実だったのか、当時も定かでなく、今でもよくわからないことがあります。

場所は、湊川公園 ― 毎日のように野球をしたり、うろうろしたりしてよく遊びました。
廃墟のような神戸タワーが、まだ聳えていました。
傷痍軍人がハーモニカを吹いたり、アコーディオンを弾いたりして、喜捨を求めていました。
ここまでは間違いなく現実でした。

公園から眼下の街並みを眺めると、人の気配がありません。
不気味なほど静まりかえっているのです。
空を見上げると、雲はすべてピンク色に染まり、誰が飛ばしているのかわからない飛行機が旋回していました。
神戸の街を警戒しているのか、爆弾を落とそうとしているのか、よくわかりませんでした。
確かなことは、とても怖かったということです。

母親は、くり返し、神戸空襲のことを語っていましたし、当時キューバ危機が起こったりして、人々は核戦争の恐怖に怯えていましたから、そんな雰囲気が白昼夢を現出させたのかもしれません。
あるいは、夜に見た夢を意識的に記憶し、それを今日まで引きずっているのかもしれません。

夢なのか、現実なのか。

最近読んだ、浅田次郎『ブラック オア ホワイト』は、その境目を漂うような不思議な世界に連れて行ってくれました。
長く商社マンとして勤めた旧友が、10の夢を語ります。
白い枕で見る夢は幸福感にあふれ、黒い枕で見る夢はまさに悪夢です。
それらの夢を通じて語られる商社マンの人生は、バブル期の絶頂、社内政治の中での暗転と転落・・・と、まさに現実なのですが、それがまるで夢のように感じられるのでした。