久元 喜造ブログ

シチョウイソツガ兵隊ナラバ・・・

「輜重輸卒(しちょういそつ)ガ兵隊ナラバ 蝶々トンボモ鳥ノウチ」
子供の頃、母親がときどき口ずさんでいました。
もちろん何のことかわからなかったのですが、大学生になってようやくその意味を知りました。

『言論統制』(9月6日のブログ)によれば、輜とは、衣類を載せる車、重とは荷を載せる車の意で、輜重兵科は、部隊の移動に際して、糧食、被服、武器、弾薬など軍需品の輸送を担う兵科でした。
日露戦争時、軍部は、輜重兵科の重要性をよく理解していましたが、次第に軽んじられるようになりました。
後に敏腕情報将校になる鈴木庫三は、士官学校試験に合格し、砲兵、工兵、騎兵の順に兵科の希望を出すのですが、指定されたのは、輜重兵科でした。
このとき鈴木は、計り知れない絶望を味わっています。
鈴木は、この屈辱を胸に、勉強と自己研鑽に邁進していくのです。

輜重輸卒 は、輜重兵の下で運搬作業を行う兵隊ですが、一般兵と違って昇進ができないなどの差別待遇を受けていました。
母親が口ずさんでいた戯れ歌が、庶民の間で膾炙していたことは、兵站に対する軽視と侮蔑が、軍部の指導者層や軍人のみならず、国民の間に広がっていたことを伺わせます。

兵站を顧みない無謀な戦術は、アジア、太平洋の戦場で幾多の悲劇を生みました。
現場感覚の欠如は、戦前の陸海軍指導部の大きな特徴です。
同時に、国民の間にも、地道な兵站部門を蔑む精神構造が形成されていたことも忘れるわけにはいきません。

現場感覚の欠如は、何も過去の話ではなく、現代の役所の中にも広く見られます。
いずれこのことにも触れてみたいと思います。