久元 喜造ブログ

トーテムポール 1962年

3月28日のブログ で、 トーテムポールについて書きましたところ、次のようなコメントをいただきました。

今から約50年以上も前に、当時山下汽船の山里丸の3等航海士で日本、北米間の定期航路にて勤務しておりました。
バンクーバー出港直前になって、急遽代理店の Nortonlily から、Seattle市から神戸市への寄贈のトーテムポールをぜひ船積してほしいとの依頼がありましたが、時間とスペースの問題があり、関係者検討の結果、船長の決断で、Vancouverを出た後、夜を徹してJuan de fuca Strait を走り、明け方西海岸の Aberdeen に臨時寄港、Grace Harbour 岸壁に着岸しました。
当時小雨の降る寒い中で、朝から3分割された大きな木箱を船橋後部の甲板上に積載、乗組員が協力してシート掛けや固縛作業も行い、急いで出航いたしました。
当直航海士の私も、大変印象のある仕事でした。

コメントをいただいたのは、北区にお住いの桑嶋收平さんでした。
お礼のメールをお送りしたところ、桑嶋さんから返信がありました。
桑嶋さんは、1961年2月18日に横浜で乗船され、翌1962年3月8日に尼崎で下船されたとのことでした。
1年1月休みなしの乗船勤務の中、トーテムポールをアバディーンから神戸港に運んでいただいたのです。

私は、一言、桑嶋さんにお礼を申し上げたいと思い、先日、市役所でお会いすることができました。
当時の模様や、神戸港のことなど、興味深いお話をお伺いすることができました
そして、松田国際交流推進部長が桑嶋さんを森林植物園までご案内し、大地に還りつつあるトーテムポールと対面していただきました。

桑嶋さんのような方々のご尽力があって初めて、トーテムポールは、半世紀以上にわたり、神戸の街の移り変わりを見守り続けてくれたのだと、改めて感じました。
心より感謝申し上げます。