久元 喜造ブログ

寝台列車で迎えた新年の想い出。

あれは、1982年の大晦日だったと思います。
当時、私は、青森県庁の企画部で、国家予算要望の担当をしていました。
この年は国の予算編成が延び、大晦日に作業が終わって、上野発の寝台特急「ゆうづる」に飛び乗りました。

寝台は、3段ずつの2列が向かい合わせになっていました。私は、一番下の寝台でしたが、まわりは、同じグループの女の子たちのようでした。
彼女たちが小声で話している様子からは、自分たちで飲みながら話したいのに、私がいるので戸惑っているようでした。
私は、思い切って、「ぼくのことは気にせずに、みなさんで楽しんで下さい」と声をかけました。
女の子たちは少し迷っているようでしたが、「ご迷惑でなければ、いっしょにどうぞ」と誘ってくれました。

寝台列車の中で、酒盛りが始まりました。
彼女たちは、青森出身で、同じ銀行に勤める銀行員でした。さっきまで仕事をしていて、いっしょに帰省するのだそうです。
それぞれが持ち込んだビールや酒がすすみ、声が高くなったのでしょう、車掌が回ってきて、
「静かにしてください」と、注意されましたが、一瞬、声を潜め、また、酒盛りを再開しました。

どのあたりを走っている頃だったでしょうか、時計の針が午前零時を回り、私たちは、寝台列車の中で新年を迎えました。
「新年おめでとう!」「かんぱーい!」
紙コップを上げて、新年のお祝いをしました。
車掌がまた近くを通ったような気がしましたが、何も言いませんでした。

元旦の朝、寝台列車は、青森の雪原を走っていました。
八戸で、そして野辺地で、女の子たちは、降りていきました。
「また東京でね」「○○さんによろしく」と手を振りながら。
終点の青森駅で、最後の女の子と別れました。

あの女の子たち、今頃どうしているだろう、と、毎年大晦日になると想い出します。