ウォーターアンドライフ 2017年1月号

ウォーターアンドライフ 2017年1月号
神戸 新たな出発
大容量送水管完成と開港150年

(対談者)
Water&Life編集主幹  矢野 隆司 氏
神戸市長       久元 喜造 氏
神戸市水道事業管理者 水口 和彦 氏

自分の足であちこち歩き神戸の今を発信しています

矢野編集主幹 本日はたいへんお忙しい中、本誌「Water&Life」の「新春に語る」にお時間をいただき、ありがとうございます。この雑誌は私の祖父(故矢野信吉)が51年前、ヨコのつながりが少ない水道界に「サロン誌」を作ろうと発刊したもので、おかげさまで現在、全国の水道事業体の皆さんを中心にお読みいただいております。
 今回は、20年がかりで神戸市水道局が整備を進め、昨年完成した「大容量送水管」事業が日本水道協会の水道イノベーション大賞をめでたく受賞されたこと、そして神戸港がちょうど今年、開港150年という節目の年を迎えるということからお願いをした次第です。久元市長さんにぜひともと思ったのは、明治時代に神戸市が取り組んだ3大公共事業、1つは市長さんゆかりの新開地ができた湊川付け替え、そして水道の整備、神戸港と修築と、そのいずれもが現在の市長さんに関わっていると、私なりに考えたためです。よろしくお願い申し上げます。

久元市長 こちらこそ。

矢野 市長さんのブログなどを拝見しますと、情報発信に非常にたけておられるなと感じました。日々のうれしかったこと、悲しかったことなどがつづられていますが、私が感じましたのは、例えば市職員の採用試験が難しすぎるなど、市民目線でお書きになられているところもあり、共感いたしました。

久元 ありがとうございます。

矢野 ブログなどにどのような思いを託されて発信しておられるのですか?

久元 ブログとフェイスブックをしていますが、自分なりに発信をしようと始めました。それは私自身、神戸で生まれ育ちましたけど、18歳で東京に出て、その後国家公務員になったものですから、40年間、神戸を離れていました。子供の頃のことはよく覚えてますが、そんなに神戸のことを知っているわけではありません。空白の期間が長く、その間に阪神・淡路大震災もあったわけです。そこで、とにかく神戸のことを改めて勉強し直したいと思い、できるだけ市内のあちこちを自分の足で歩き、そして見た感想とかを自分の言葉で発信したいと思ったわけです。

矢野 市長さんのブログを見て、私も先日、神戸市文書館の「神戸と難民たち」の企画展を見てきました。たいへん勉強になりました。

久元 それはありがたいですね。

矢野 本題に入りますが、大容量送水管は市民目線でいうと、いままでの(淀川水系からの)送水管に、新たに背骨が1本加わり安定して供給できるようになったこと、そして、そこに水を貯える機能が増えて、住む側にとって本当に安心して暮らせるようになったこと、大きく言ってその2つかなと思うのですが。

水道は神戸の行政の原点 六甲山緑化と同時並行です

久元 技術的なことは後ほどお話ししますが、神戸の水道の歴史について少し述べさせてください。神戸市は1889年に誕生したのですが、最初に取り組んだ大きな課題はまさに水道の整備でした。初代と2代目の市長がこれに力を尽くしましたが、進め方や財源の問題をめぐり、当時の神戸市会はたいへん紛糾したそうです。その水源は神戸の山に求めましたが、六甲山は当時はげ山で荒廃していたそうです。

矢野
 そうなんですか。

久元 六甲山は豊臣秀吉の頃にもう、自由に伐採できるというお触れが出ていたようです。江戸時代に入ってもその伐採は続いていました。そこで、神戸の水道をスタートさせる時、六甲山の植林、つまり六甲山の再生を同時並行的に進めることが必要になり、それが神戸の特徴となりました。

水口管理者
 日本の近代水道で神戸は7番目に給水開始をした都市になります。当時はコレラなどの流行が度々起こっており、近代水道設置が強く求められていました。

久元 いわば、水道事業というのは、神戸の行政の原点ともいえるわけです。現在、水道事業は民間の力をもっと活用すべきだという声が強まっていますが、私自身は100%民間に委ねるのはいかがなものか、と思っています。やはり水道事業は、民間に委ねる所は民間にという一方で、基本的には自治体の直営で行うべきものだと思います。というのは、水道事業には長い歴史があり、職員のノウハウや経験も蓄積され、大切な財産になっています。それを大事にしていくべきです。東日本大震災の時、私は総務省で自治行政局長をしていましたが、水道施設や管路が地震で壊されたり、津波で流されたりして壊滅的な被害を受けました。

矢野 まるごと津波にさらわれた所もありましたね。

久元 そんな中、水道の分野では、被災自治体に対し全国の自治体から次々と支援が入り、被災地の住民の皆さんに生活用水の供給がなされました。神戸市も岩手県の大槌町を支援しましたが、その支援活動を紹介したドキュメントが一昨年NHKテレビで放映され、東京で見知らぬおばあさんから「神戸の市長さんですか、テレビで見ましたが素晴らしい支援活動でしたね」と声を掛けられ、非常に誇らしく思ったことがあります。もし、どこの自治体も水道が民営化されていたら、なかなか相互応援というわけには行かなかったのではないでしょうか。やはり、水道事業は基本的には自治体の責任で行うべきだという気がしています。

矢野 そう思いますね。パリでも水道事業は一度民間に移管したあと、公営に戻っています。

全市民の飲料水12日分を送水管で貯留できます

久元 阪神・淡路大震災では神戸市内はほとんどで断水しました。被災者の避難生活でも水がない中でトイレもままならないなど大変な影響が出たわけです。もし、大規模な地震があったとしても、ライフラインを守るということが大切です。今回の大容量送水管のプロジェクトもそこに原点があります。この送水管の完成によって生活用水が確保できるようになったことが大きいと思います。

矢野 そうですね。

久元 大容量送水管の持つ意義は大きく言って2つあります。1つは水道水の確保ですね。この送水管には5万9000立方メートルという容量を貯留できます。これは全神戸市民が1日3リットルの飲料水を使うとして、12日間の水を確保したことになります。もう1つは、配水池や配水幹線が被災した場合でも大容量送水管から直接、配水管網に供給することで断水からの復旧期間を短縮することができます。

矢野 今回の送水管整備では日本で初めてということが3つあるとお聞きしましたが。

貯水の発案、大深度法適用、断層横断管の3つは日本初

水口 1つは、長期間の断水が続いた阪神・淡路大震災を教訓に送水管に水を貯めることを発案したことです。2つ目は大深度法(大深度地下の公共的使用に関する特別措置法)という法律を初めて適用したということです。この法律は2001年にリニア新幹線を目的に作られたものですが、延長270メートルと短い距離ですが採用しました。最後は、ルート上の断層を横断する箇所にじゃばら式ストローのような機能を持った断層用鋼管を初めて採用したことです。

矢野 大深度の法律を使おうという発想、すごいですね。知恵者がいたんですね。

水口 大容量送水管は基本的には道路の下を通すのですが、山側の北野のあたりは段差があるうえに道が真っ直ぐ通っていないんです。そこでルートを直線的にしようということで、大深度法の適用を考えたと聞いています。

矢野 初めてのことづくしですからご苦労されたことも多かったのではと思います。少しご紹介いただけますか。

苦労したのは財源問題と立杭用地確保、宮水保全

久元 1つは国庫補助の財源の確保でしょうか。最初は当時の厚生省のモデル事業ということで芦屋市境~住吉川間の整備を進めました。残る住吉川~奥平野間の補助はなかなか付かなかったのですが、阪神・淡路大震災以後も鳥取県西部地震など内陸型地震が続いたため、神戸市が送水管の貯留機能に着目した新たな補助制度を要望したところ採用になりました。この新しい補助制度は現在、他の水道事業体に使われているとお聞きしています。技術的なことにつきましては水口管理者の方から。

水口 工事で苦労したことの1つは立杭です。送水管は、立杭を掘ってシールド工法で掘削し、その中に敷設します。立て穴を掘るということで、かなりの面積、2000平方メートルぐらいの土地が必要になりますが、実際、そのような土地を街なかで確保することは困難でした。といっても、ルート自体を決めていかないと事業が進まないので、おおまかなルートを決めて事業をスタートしました。そこで、いろいろルート沿いを当たっていると、ルートから少し離れた所で社宅廃止で土地が空く話を聞きつけたり、高校の統合で不用になった土地を見つけたりして、土地を確保することができました。ルートがちょっと南に振れているのはそのためです。それから、灘五郷という神戸の地場産業の酒造りに使う地下水(宮水)の保全に気を使いました。酒造組合と連携をとって地下水を汚さないためにルートを深くとったほか、掘削時に地下水に影響を与えないよう地盤に注入する材料に食品添加物と同じものを使用したりしました。

矢野 すごいですね、食品添加物まで気を使って取り組まれたんですか。それだけ苦労されて完成されたわけですが、この送水管の存在を今後、どのように生かしていきますか?

久元 やはり、この送水管は市民の皆さんに相当安心感を与えていると思います。いろんな機会を通じて、全市民の12日間分の飲料水を確保していることを発信していこうと思っています。また、大地震が起きても断水期間を短くする復旧のバックアップ機能があることもPRしていきたいですね。

矢野 さて、神戸港の開港についてですが、昔、平清盛も大輪田泊に目を付け福原の都を造ったのではないかと思います。そして150年前の開港、なぜ外国の船が来たのか、京都に近いこともあったかもしれませんが、だれかが布引の水がうまいといったのではないかとも思っています。てっきり、布引の水は今も使われていると思っていたのですが、違うのですね?

水口 布引の滝というのは平安時代から歌に詠まれるほど有名な場所でした。開港時は布引ダムの水を船舶に送っており、その水が赤道を越えても腐らないということで外国の船員さんの間に広まり、一躍有名になったということです。ところが、水需要がどんどん減っている現在、阪神水道企業団から買っている水を責任水量制ということで、まず使用しなければならない。足りない部分を布引の水など自己水源で賄うことになっているんですが、水需要の減少で、布引からの給水は休眠状態になっているわけです。そこで今、「布引の水」ということでブランド化を図り、新たな需要を創出できないかと考えているところです。1つはクラフトビールを造っています。

矢野 へぇー、売っているんですか。

水口 淡路産のレモンを入れて「布引渓流水を使用した淡路レモンのホワイトエール」の名称で売り出しています。女性に人気だと聞いています。また、神戸はコーヒーメーカーが多いのですが、メーカーさんにも水を使っていただけないかと働きかけています。

矢野 なるほど、楽しそうなものがありますね。アイデア次第では大化けするかもしれませんよ。

新神戸駅にクルーズ客船入港を映す大スクリーン設置

久元 布引という名前はもっと全国に知られていいと思います。布引の滝のすぐ南側にある新幹線の新神戸駅でも、布引の滝について問い合わせが多いようです。新神戸駅ということでは、神戸港にクルーズ客船が入ってきたらリアルタイムで映るような大型スクリーンを設置しました。

矢野 ほぉー。

久元 客船が入っていない時でもクルーズ客船を映すようにします。

矢野 スクリーンに客船側から港を写すような映像が、例えばドローンを飛ばして写すような映像なんかも楽しそうですね。

久元 ドローンを港で飛ばせたら、可能でしょうね。その港ですが、残念ながら昔と違って今は、市街地と港の間が遠くなってしまいました。かつては高台などから港に船が入っているのがよく見えたのですが、今は港が遠くになり、コンテナ船の岸壁もポートアイランドや六甲アイランドになっています。

矢野 たしかに昔は港は市街地に近かったですね。私も学生時代は神戸に遊びにきてメリケン波止場で朝まで始発待ちなんてこともありました。そこで、今年の開港150年、様々なイベントもあるようですね。

メリケンパークに桜並木と港を望むカフェテリアが

久元 世界の主要港の港湾関係者を招いて行う国際会議(2月)などいろいろあります。また、30年後、神戸港はどうなっているかという、将来像を考える委員会も作ります。一方で、メリケンパーク広場の再整備を進める予定です。芝生で緑化してサクラ並木をと考えています。神戸の市街地には、王子公園以外はサクラの名所が少ないものですから。それから、現在、広場に展示している2隻の超電導実験船を撤去して見晴らしをよくし、4月には港を一望するカフェテリアができる予定です。募集したところ、神戸の姉妹都市第1号の米国シアトルが発祥のスターバックスコーヒーが出店することに決まりました。さらに、須磨海岸の遠浅化も進めます。

矢野 今年1年間をかけて取り組まれるということですね。他に国際的なもので、何か計画はありますか。

久元 3月にクイーンエリザベス号が来て、神戸を起点に韓国・プサンなどを巡る初めての日本発着クルーズも行われます。

昭和初期にハロウィーンを楽しんだ市民もいた!?

矢野 いろいろ、イベントがありまね。楽しみです。ところで先日、淀川長治さんが出身地の新開地のことを書いているエッセーを読んでいたら、昭和の初めにハロウィーンを楽しんだということが出ていました。さすが神戸、新しいものを取り入れるのは早いですね。

久元 実際、ハロウィーンの日本の発祥地は神戸という説もあるんです。

矢野 そうですか。神戸はやはり、そういった異国情緒がキーワードだと思いますね。

久元 先日、インドのモディ首相が安倍総理と一緒に神戸にいらっしゃいましたが、インド人コミュニティーも昔から神戸にありました。ターバンを巻いた人も多かったし、神戸は非常に国際色豊かな街ですよ。戦前は非常に難しい時代だったので、そんなに物事を単純化できないとは思いますが、やはりシナゴーグ(ユダヤ教会堂)もイスラム寺院もジャイナ教の寺院もありました。戦前から違う人種、違う宗教、違う国籍、違う文化を持った人たちが神戸では暮らしていたんですね。戦時下に入ると、いろいろ難しい問題も出てきましたが、いろんな人たちが一緒に生きる街だったと思いますね。ユダヤ人難民の話も、当時は兵庫県が対応していたと思いますが、迫害せずに受け入れて第三国へ出国させた、という歴史があります。そういう歴史を残していきたいということで情報提供を求めましたら、自分の家にユダヤ人を招いて、浴衣を着た写真もあったりし、そんな交流もあったようですよ。

矢野 ここに来る途中、自転車の貸し出しというのを見ましたが、これは市長さんの発案ですか?

久元 私の発案ではありませんが、始めたのは昨年春で私が市長になってからです。

矢野 パリにもヴェリブという自転車貸し出し事業がありますね。観光客にも大人気で便利ですよ。

久元 神戸はコベリンという電動自転車があります。もう少し増やしたいと思っています。けっこう使われているんですよ。

矢野 あんなのがあることを知りませんでした。あれは、いいですよ。市長さんは昨年、「神戸市は震災後の財政危機を乗り越え、新たなステージに立った。安定した成長軌道に乗せていくため、まちの魅力と活力をさらに高めながら、選ばれるまちとしての神戸を築いていきたい」と抱負を述べられておられますが、21世紀の神戸についてお聞かせ願えますか。

久元 やはり、神戸は非常に国際色豊かな、そして海と山のある、洗練された街並みのある魅力のある都市なんです。同時に、戦災、震災を乗り越えてきた、市民が助け合って街をよみがえらせてきたという、市民力のある都市です。ですから、その街の魅力と、その市民、人の魅力が結びついた神戸というモノを、過去のブランドだけに頼るのではなく、創造し、イノベーションもし続ける、そういった都市にしていきたいと思っています。

矢野 最後に本誌の「新春に語る」にご登場の皆さんにお聞きしていることなんですが、お正月はいつもどのように過ごされておられるのですか?

久元 休みは本のかため読みをしているので、正月もそんな感じでしょうか。

矢野 お雑煮は?

久元 子供の頃は白みそでしたが、家内がおすましなので、それをいただいています。

矢野 本日は貴重なお話をありがとうございました。読者の皆さんにも大いに参考になったと思います。感謝申し上げます。

【久元喜造氏】
 1954年神戸市兵庫区生まれ。灘高校を経て76年東京大学法学部卒業。同年自治省(現総務省)入省、青森県企画課長、京都府地方課長、札幌市財政局長、総務省大臣官房審議官(地方行政・地方公務員制度、選挙担当)、同選挙部長、同自治行政局長などを歴任。2012年11月神戸市副市長になり、翌年10月の神戸市長選挙で初当選し、同11月第16代神戸市長に就任。
 著書に『ネット時代の地方自治』。趣味は路地裏を歩き、居酒屋に立ち寄ることというが、多忙のため自宅でクラシックを聴きながらウイスキーを飲むことを楽しみにしているという。祐子夫人はピアニストで国立音楽大学准教授。
【大容量送水管】
 水道施設が甚大な被害を受け応急復旧まで10週間もかかった1995年の阪神・淡路大震災を教訓に、神戸市が阪神水道企業団から受水する浄水の基幹送水管として翌年から事業着手。芦屋市境―住吉川―奥平野浄水場間12.8キロに高い耐震性と貯留機能を持った口径2.4メートルの大容量送水管を整備した。昨年3月、20年がかりで完成した。総工費約370億円、芦屋市境―住吉川間3.8キロは厚生省(当時)のモデル事業、住吉川―奥平野浄水場間9キロは厚生労働省の国庫補助事業(緊急時給水拠点確保等事業)に採択された。貯留可能量5.9万立方メートル、計画送水能力最大40万立方メートル(1日)。「災害に強い水道づくり」として昨年度、日水協の水道イノベーション賞大賞を受賞した。
 貯留機能を有する送水管はその後、大阪広域企業団や堺市、札幌市、福岡地区企業団など6つの水道事業体でも整備を進めており、災害対策事業として全国へ広がっている。
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